猛暑がつづく日本列島、あずきバーが美味しくて箱買いしている僕(@kazuaki_TANI)です。
2025年7月30日午前3時17分頃、カムチャツカ半島の大地震による津波によって、2011年3月11日以来の大規模な避難指示が出ました。しかも今回は北は北海道から南は九州にいたるまで、およそ200万人におよぶ避難指示です。
幸いにも津波による犠牲者は出ずに済みましたが、残念なことに高台へ避難する際に交通事故に遭われて亡くなった方がいたそうです。
東日本大震災は、日本人だけでなく世界中の人々に津波の恐ろしさを知らしめました。それによって防災への意識も高まり、特に太平洋沿岸部の市町村は、そろそろ起きるだろうと言われている南海トラフ大地震への備えを日々行っています。
いっぽう内陸に住む人たちは、津波の心配はしていないと思いますが、大地震によるインフラの遮断や原子力発電所のメルトダウンについては、警戒をしているのではないでしょうか。
3.11の時は群馬県太田市で仕事をしている時に大きく揺れました。
会社でパソコン作業をしていましたが、慌てて外に出ると電柱が弓のようにしなり、電線が縄跳びの縄のように大きく揺れていた光景は今でも忘れません。そして、その後の報道で福島原発の建屋が吹き飛んだ映像が流れると、社内に緊張が走りました。
防災に詳しいスタッフが海外の気象観測と放射能漏れの専門サイトにアクセスをして、放射能の流れを社内に共有し、帰宅するタイミングを図ったり、実際にメルトダウンを起こした際の対応(最悪、会社機能を関西か九州に移す)をミーティングしたのでした。
そんな体験も今では良い思い出ですが、カムチャツカ半島大地震の日、たまたま千葉県いすみ市の沿岸部(海まで徒歩30秒)に滞在していた僕は、けたたましいサイレンに驚き、「命の危険が迫っています。今すぐ高台に避難してください!」と繰り返す防災放送が流れると、大慌てで近くの高台をリサーチしたのです。

避難をした高台の駐車場の様子
幸い、滞在先のすぐ近くに灯台があって調べると海抜は90m。よし、そこに避難しよう!と決めると、一緒にいた人の車に買い置きしてあった水と愛犬を積んで灯台へ向かったのです。
到着すると、すでに地元消防団の方々がいて、交通整理をしたり津波の情報を知らせてくれました。東日本大震災の時の最大津波が高さ40mですから、目の前が海といっても海抜90m「さすがにここは大丈夫だろう」という楽観的な空気感でした。
高台に集まってきた地域の人たちも、津波の原因がロシアの地震であること。北海道に到達した津波が0.4mであることなどの情報から、12時を過ぎるとお昼ご飯を食べに下山する人(なるべく海岸から離れたところにあるお店に行くと話していた)も現れました。

避難した高台から眺めた太平洋
町の防災放送とNHKラジオは「今すぐ高い所へ逃げてください。そこから離れないでください。」と避難継続の指示を出しつづけていた状況でした。油断をしたり気が緩んで避難所から離れた人々が大津波に巻き込まれて死ぬ..そんなお決まりパターンがパニック映画には必ずあって、そんなシーンを思い出すと高台から離れるわけにはいきません。
避難をしたのが午前9時半くらいで14時を過ぎると、ほとんどの人が帰ってしまいました。
残っているのは、数名程度(そのうちの一人に1990年代にトレンディードラマの主役だったり大河ドラマで信長役をやっていた有名な俳優さんもおりました)になったので、さすがに今回はもう大丈夫だろう、ニュースはずっと流しておいて、いざ高い津波が来そうだったらその時に逃げよう、ということで僕たちも高台から離れたのでした。
この先は、何が起きても自己責任で対応です。
しかし、実際に困ったのはその後でした。
高台から降りて、お昼ご飯を食べたり、防災備蓄用の食料を買い出しに街に出かけるとコンビニもスーパーもドラッグストアもホームセンターもファミレスもマクドナルドも、すべてのお店が閉まっていました。おまけに電車もまったく動いておらず埼玉に帰ることもできない。
仕方なく、海岸から遠く離れた街まで車を走らせ、ようやく開いているスーパーを見つけると買い出しを済ませ、併設のタリーズでアイス珈琲を飲んでホッとひと息ついたのでした。
「100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて!」
生命を大切にするなら自然素材の家がいい。
今回もだいぶ前置きが長くなりましたね。
住宅建築に関わる仕事ですから、巨大地震への備えはやはり意識としてしっかり持つ必要があります。いざ、予想されている南海トラフ大地震が起きた時にしっかりと家族を守り、人的被害を出さない頑丈な家を建てることは大事ですよね。
例えば耐震等級3の場合は震度6〜7の1.5倍の大地震でも倒壊をしないと言われています。
(言われている、という表現にしたのは100%確実でないからです)
そんな大地震の場合は、建物の倒壊よりも家具の転倒や、食器棚の割れたガラス、天井物の落下等が原因で負傷する場合が圧倒的に多いです。日頃からそのための備えをして、地震が起きた時には机の下に潜り、頭部を守る姿勢をとれば大怪我を防ぐことは可能です。
こんな感じで大地震についての防災知識は、日本の住宅業界でおよそ周知されています。
ところが、、
日常生活のなかで僕たちの身体にじわりじわりとダメージを与えている化学物質による空気汚染については、まだまだ意識が低い状況です。それは、国の建築基準も含めてです。
先日、大手ハウスメーカーが建てた新築の家に入る機会がありました。
国の基準であるF⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎(エフフォースター)のみの建材を使っている家ですが、玄関から入った瞬間に新築臭が鼻にツンときます。予想はしていましたが久しぶりの新築臭にクラッときました。そして、10分もすると頭が締めつけられるように萎縮をして、呼吸も浅くなりツラくなってきたのです。
最高基準であるエフフォースターでこれです。おそらく、この家を売った営業さんは「最高ランクのF⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎の建材しか使っていませんから大丈夫ですよ」「いずれ、気にならなくなりますから問題ありませんよ」と言うでしょう。
しかし、実際に僕の身体はたった10分で悲鳴をあげていたのです。
化学物質の耐性は人それぞれで、僕などはまだまだ鈍感な方です。
「いずれ、気にならなくなりますから問題ありませんよ」
この言葉の裏側には「ただちに影響はありません」の意味も含んでいます。これって、どこかで聞いたことがあります。それは3.11の時、記者会見の際に、枝野官房長官が放射能被曝についての質問をされた時に繰り返して言った言葉です。
官房長官は「短期的な被曝による健康被害の懸念は現時点ではない」が、長期的・累積的な低線量被曝については現時点では不透明であり、注意が必要、という点を示そうとしていたわけです。さらに言うと「国民のみなさん、今後の状況によっては健康に影響がでる量の被曝をするかもしれませんので、あとは自己責任でこの危機を乗り越えてください」という意味も含んでいました。
住宅と原発事故を一緒にするな、と言われそうですが、実際は同じです。
一般住宅に使われているビニールクロスやフローリングの床材、集成材などからは微量ですが身体に悪影響を及ぼす成分が含まれており、それらは空気中に揮発しています。24時間換気が義務なのはそのためです。完全に無害になるのは約5年と言われています。事故った原発もビニールクロスも、同じように身体に害のあるものを放出している。
その事実を、特に建築業界に携わっている人は受け入れる必要があります。
本当に怖いのは30年に1度の大地震ではなく、呼吸するごとに身体に入れる汚れた空気。
そんなわけで僕たちは、群馬県の片隅にてビニールクロスやフローリングなどの化学物質を使った量産品はいっさい使わない家を作っています。なぜなら、生産性や効率よりも「生命(+本物の快適性)を優先する選択」をしたからです。
津波から避難する時の防災放送が「生命を守ることを最優先してください!」とひたすら叫んでいたのとまったく同じですね。身体にダメージを与えつづける量産品の家か、身体を癒してくれる自然素材の家か、どっちを選択するのもあなた次第。
まだまだ書き足りませんが、今日のところはこの辺で!
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